僕の本業は”農業男子”の修行中!!

我が家は先祖代々続くみかん農家です!!
皆さまお世話になります。
現在、実家で雑用しているシゲちゃんです。
今回の記事では、我が家のお仕事について少し、お話したいと思います!!
我が家は先祖代々続いているみかん農家です!(^^)!
僕が生まれた時には既に何種類のみかんが山々に育ってあり、現在では品種改良を重ね、質の高い物を育てています。

現在では、主に祖父と父がメインでみかん園の経営を行い、僕は将来の担い手として農業男子の修行中です!!
激動の学生時代を振り返ってみた♪
こちらのトピックでは僕が人生生きていく上で、むちゃくちゃ苦労した学生時代を振り返りたいと思います。
高校時代は農業が専門の農業経営高等学校に入学!!
我が家って先祖代々続くみかん農家でしょう?ですから、僕の高校の進学先は僕が考えなくてもほぼ、強制的に決まっていました。みんな、勉強して今の観音寺市内の高校に通ったのに、僕一人だけ、農業経営高校に入学したんです。
今思ったら、この快挙は非常に凄い事です。
でも、当時の僕は農業に興味が無かったので、中学校の同級生の中からたった一人だけ、農業が専門の高校に行った事に、非常にショックを感じていました。
それでも、頭の中では「将来は確実にみかん作りをしなきゃいけない時が来る!」と当時から考え込んでいたので、そこまで高校生活は苦ではありませんでした。ある事を除いては・・・。
僕は生まれつき、イケメンじゃないし、滑舌も悪くて下手をすると通訳が必要でしたから、その弱みをしっかりと先生方や先輩たちに握られていじめられ続けました。本当に自殺してやろうかとも考えた。
しかし、そこで踏みとどまり何とか無事に高校3年間を卒業しました。
今の自分があるのは、高校時代の差別やいじめに耐え続けられたからです!!
【↓僕の母校のホームページです!!↓】
高校卒業後は更に高みを目指して二年制の農業大学校へ!!
高校を卒業するころ、僕の農業に対する思いは一段と強くなっていました。少しでも農業に関する技術を身に付けられればと思った僕は、県内の琴平町榎井にある農業大学校へ進学!!
大学での卒業研究を死に物狂いで乗り越え、何とか浪人せず二年間で卒業できたことをここまで僕を支えてくれた全ての皆さまに感謝したいと思います。
・当時の”果樹園芸コース”では人気が無く同級生は僕を含めて2人だった。
・授業の一環で農薬散布をした後に”ヘルペス”を発症・・・。一ケ月間、大学を休み、さらにお風呂にも入れなかった事は、今でも覚えてる!!
・実家がみかん農家なのに、早く卒業論文を仕上げたくて、モモの研究をしたのが失敗だったけど、これも良い経験!!
・仙台で行われた全国農業大学校交流会に参加できたこと!!
・研修旅行の際の自由行動の時間で初めて夢だった秋葉原へ行ったこと!!
・みかん作り以外の農業の基礎知識が身に付けられたこと!!
大学卒業後はみかんの事について更に学びたいと思い農業試験場で一年間研修した過去!!
二年生の大学を卒業するころの世の中は”リーマンショック”に見舞われ、中々就職活動が上手くいかない生徒が続出していましたが、我が家が先祖代々続くみかん農家で、祖父が技術者である事から、なんと、農業試験場へ一年間研修に行ける事が決定しました。
これは本当に嬉しかった!!
将来のみかん農家の担い手として、更にみかん作りの奥深い場所に身を留めさせることが出来ると思ったら、楽しくて仕方なかったです。
研修終了後は農業関係の会社へ就職希望で入ったのですが、特にそこまで難しい作業もなく、みかんの技術を少しずつ、身に付けられる事が出来たと思った一年間でした。
今思えば全て”推薦入学”で終わった学生時代
僕の若い学生時代を更に、深読みしていくと、何と僕は試験勉強と言う試験勉強をロクにしておりません。「将来は立派なみかん農家の後継者になるのが当たり前!!」と名が通っていたので、ペーパー試験を受ける事無く、高校も、大学も、試験場も推薦入学できた事が今では不思議で不思議で仕方ないのです。
立派な後継者になる為に必要なマインドとは何か?

冒頭にもお伝えしたかもしれませんが僕は今、祖父や父の後を継いで立派なみかん農家の後継者になるべく基礎から勉強をやり直しています。
約10年も農業の世界から離れていたので基礎も頭から消えている部分が多く、天気の悪い日には学生時代の参考書を本棚から引っ張り出して勉強するなんて、20代の頃の僕には考えられなかった事です。
9月の収穫が楽しみです!!

我が家で栽培されているみかんの中で、最も収穫が早いのが”ゆら早生”です。昨年の11月まではサラリーマンでしたから、家の仕事などほったらかしでしたけど、これからは実家の家業の事もしっかり考えて、仕事に励みたいと思います!!
